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ニュース全般まとめブログ

    2017年05月



    1 野良ハムスター ★ :2017/05/30(火) 22:00:55.76 ID:CAP_USER9

    この日(2014.7.2)から俺の人生はガラッと変わった。

    3時間目の授業が終わり友達と早弁をした。食べ終わった後机の上が少し汚れていたから隣の子にティッシュを貰う為席を立った。ティッシュをもらい椅子に座ろうとした時に、後ろにいた女の子がふざけて俺の椅子を引いた。

    俺は不意打ちにやられたから対応する事もできず後ろにあった机の角で背中を強打し床にお尻から突き上げるように落ちた。

    その瞬間、背中と腰に異常な激痛が走った。そしてクラスメイトの子達に保健室までタンカで運んでもらった。保健室についてすぐに強打した背中から順に下半身が痺れ始め大変だと思い救急車で病院に運ばれた。

    そして病院でMRI、CT、レントゲンなどの検査をし2週間入院する事になった。

    検査の結果は脊髄が潰れた感じになっていて手術が必要だ。と医者に言われた。

    正直その言葉を言われた瞬間涙が溢れた。

    その週には国体の選考会があり数ヶ月後にはウィンターカップを控えていたからだ。

    手術をしないと今後身体に影響が出ると言われたから泣く泣く手術する事を決断した。

    そして国体を辞退しウィンター予選はチームの皆に託し手術をした。強力な全身麻酔を使い9時間行なった。意識が戻った時には下半身も動き成功したと思われた。

    しかし3日後、切り口の中が痛くなり検査をした。そしたら血栓ができていた。緊急手術を行う事になった。2回目の手術も強力な全身麻酔をし5時間手術をした。

    手術が終わりICUの中で目が覚めた。

    目が覚めた時、異常な頭痛と吐き気と意識がほぼ無い状態で本気で死ぬ寸前だった。

    1週間意識がなく病室で寝かされていた。ちゃんと意識が戻った時は周りに家族がいてなんとなく久しぶりに安心した。

    けどここからが俺の山場だった。身動きができず寝たきり生活が2ヶ月。その間で髄液を抜くために極太のブロック注射を背中に5回刺され相当な痛みだった。

    やっとベッドを起き上がれるようにもなり車椅子生活が半年続いた。手術後初めて床に足をつけた時本当に下半身がない感じで宙に浮いてる気分だった。

    それから毎日リハビリが始まって3ヶ月後物を使って歩行ができるようになりどんどん良くなってきた。

    約1年リハビリ入院し、大学の入学式があるため退院をし兵庫県の大学に松葉杖で門に足を踏み入れた。

    約1年中途半端だけど大学に通った。

    でもやっぱりこの身体で通う事は本当に辛かった。バスの中では押し倒され転倒したり道で歩いてていきなり力が抜け転倒したりと大変だった。僕は限界を感じもっとリハビリをして杖なしで歩けるようになりたいと思い親と相談して1年間休学する事を決めた。

    現在は地元で毎日リハビリに励んでいてその結果下半身の麻痺は治っていないが杖なしで歩けるようになった。

    たくさん希望がみえてきた。来年の3月にはまた大学に戻るけど前よりは心と身体に余裕ができると思う。そして将来を考え車椅子バスケをやると決めた。

    本当は小学校からの夢であったプロバスケの選手になりたかったけど今は自分の身体を受け入れて新しい夢を決めた。

    俺は頑張るよ。

    (以下省略、つづきはウェブで!)

    山田雄也
    下肢障害者 4級 車椅子バスケに挑戦

    (出典 images.huffingtonpost.com)


    (出典 i.huffpost.com)

    http://www.huffingtonpost.jp/yuya-yamada/basketball_dream_b_16874376.html

    ★1:2017/05/30(火) 20:03:04.22
    前スレ https://asahi./test/read.cgi/newsplus/1496142184/


    【【社会】椅子を引く、よくあるイタズラで、国体を目指していた僕は寝たきりになった。そして...★2 】の続きを読む



    1 KingFisherは魚じゃないよ ★ :2017/05/30(火) 20:11:20.86 ID:CAP_USER9

    厚生労働省がG7各国の若者の死因について分析した結果、1位が「自殺」だったのは日本だけでした。

    30日、閣議決定された2017年版の「自殺対策白書」で、おととしの若者の死因を分析した結果、15歳から39歳までの5歳ごとの全ての年齢区分で死因の1位は「自殺」でした。

    このうち、30代前半は1992年以降の24年連続です。

    また、G7各国について比較可能な最新の統計で若者の死因を比較すると、外国は「事故」が1位で、日本だけは「自殺」が1位でした。

    日本では若者の自殺者数が高止まりしていて、厚労省は今年見直される自殺対策の指針に若者への対策を盛り込む方針です。

    (全文)
    http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3066211.html


    (出典 kangaeru.s59.xrea.com)


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    1 ひろし ★ :2017/05/30(火) 21:55:12.89 ID:CAP_USER9

    5月30日 13時30分

    北朝鮮外務省は30日、国営メディアを通じて、日本政府がG7サミット=主要7か国首脳会議の場で、北朝鮮に対する圧力強化に言及したなどとして日本を非難する談話を発表しました。

    この中で、「日本当局がわれわれの自衛的措置を挑発や脅威だと言いがかりをつけることは実に愚かなことだ」と主張しました。

    そのうえで、「これまでは在日アメリカ軍基地をわれわれの軍の照準に合わせていたが、日本がアメリカに追従して敵対的に出るならば、われわれの標的は変わるしかないだろう」として、アメリカ軍の基地以外も攻撃目標にする可能性をちらつかせ、日本を威嚇しました。

    北朝鮮としては、圧力強化に向けてアメリカとの連携を強める日本政府をけん制する狙いがあると見られます。

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170530/k10011000141000.html


    (出典 jp.sputniknews.com)


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    1 名無し募集中。。。@\(^o^)/ :2017/05/30(火) 06:34:21.36 O.net

    レコード大賞に輝いた'90年代の人気アイドル・川越美和が謎の孤独死を遂げていた
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170530-00009785-jprime-ent&p=1
    週刊女性PRIME 5/30(火) 4:00配信

    「何も知らないファンの方たちのため、最期を知る人間の声を届けてほしいんです」

     そう語るのは、'90年代にアイドルや女優として活躍した川越美和さんの死を知る、元同僚の城野よしかず氏。亡くなるまでの約1年間を知る彼は、今まで語られなかった川越さんの死について、その知るところを話してくれた。

     川越さんといえば、'88年に歌手デビューすると、翌年には『時間ですよ 平成元年』(TBS系)にレギュラー出演。この年は『夢だけみている』で第31回レコード大賞新人賞も獲得し、芸能界で絶好のスタートを切った。

     このころ、川越さんをインタビューしていた芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、

    「“地元では電車がなくて、東京に来て初めて電車に乗りました。山手線は乗降する人も多くて初めは怖くて乗り込むことができませんでした”と、あどけない表情で話していたのが忘れられません」
    と振り返る。

     レコ大新人賞を獲得後も『スクールウォーズ2』『HOTEL2』(ともにTBS系)などの話題作に続々出演。映画やCM、雑誌のグラビアなどにも数多く登場して、順風満帆な芸能生活を送っていたかに思えたのだが……。


    (出典 im4-a.mbokimg.dena.ne.jp)


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    1 Egg ★@\(^o^)/ :2017/05/29(月) 12:22:11.09 ID:CAP_USER9.net

    ローマのFWフランチェスコ・トッティは、クラブでのラストゲームに出場した後、感動的なスピーチでその心境を語っている。

    28日にスタディオ・オリンピコで行われたセリエA最終節ジェノア戦では、終了間際にディエゴ・ペロッティがゴールを決め、ローマが3-2で勝利を収めた。これでローマはリーグ戦2位を確保し、来シーズンのチャンピオンズリーグにストレートインできる権利を獲得した。54分から途中出場したローマのバンディエラ、トッティは土壇場での勝利に貢献し、ラストゲームに花を添えている。

    試合後、スタディオ・オリンピコでスピーチを行ったローマの10番は「キャリアはおとぎ話のようだと考えている。そしてこれは最も辛い場面、エンディングだ」とラストゲームを終えた心境を語り、以下のように続けている。

    「このユニフォームを脱ぐ時が来た。もしかしたらまだ辞めないと言うかもしれないが、たぶんそれはないだろう。今は何も語れないかもしれないが、これは思った以上に簡単ではなかった。今はとても怖い気分だ。ペナルティーキックを蹴る前の恐怖とは違う。全く先の見えない穴に飛び込むような気分だ。だから今はみんなの支えを必要としている。みんなの愛情があれば、ページをめくって、新しい冒険に飛び込むことができるはずだ」

    「この28年間を短く語ろうと思ってもできることではない。何年もかけてこの脚で自分自身の存在意義を証明してきた。少年時代、何が一番お気に入りのおもちゃだったかわかるかい? もちろんフットボールだ。それは今も変わらない」

    「2001年6月17日から時が経つのが速かったように感じる。あの時は主審が試合終了のホイッスルを鳴らすのを待ちきれなかった。そのことを思い出すだけで、今でも鳥肌が立ってしまう。今、時間が僕の肩を叩き、“成長する時が来た。明日になれば君は大人だ。その服と靴を脱いで、今日からスタートを切ろう。君はもう大人だ。もう芝生の上でも、太陽の光も、相手からゴールを奪う喜びも感じられない。お祝いの時だ”と言っている」

    「ここ数か月、なんでこの物語から目を覚まされなければならないのかと自問してきた。まるで良い夢を見ながら寝ている子供のようだった。そして母が学校に行くように起こしに来た。僕は夢を見ていたい、もう一度夢を見ようと思っていても、できない。これはもう夢ではなく、現実だ。そして僕はもう二度と戻ることはない...」

    GOAL 5/29(月) 8:05配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170529-00000000-goal-socc




    (出典 www.soccer-king.jp)


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